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五所川原工高には5年間勤務した。たった5年というのはずいぶん短いが、それなりの事情があった。昭和39年というのは東京オリンピックの年で、この頃は中卒者の多くが「金の卵」といわれて、主に関東地方に就職し、日本の労働力を支えていた。「金の卵」「就職列車」「集団就職」。井沢八郎の「ああ、上野駅」が聞こえてきそうだ。そして45年後の今日、彼らが「団塊の世代」と言われ、今大量退職の時代として社会問題化しているのは皮肉な事である。彼らが中高生の頃、中堅技術者の育成という名の元、全国各地に工業高校が作られた。五所川原工高もその一つである。高校が新設校として沢山作られたのだから教師もそれだけ必要になる。新設工高の校長先生達は教師集めに大変なご苦労をなさったのだろう。そんな時代だから教師志望の学生達の少々の無理は受け入れられていた。「なるべく早い機会に北海道に返して欲しい」と言う私の注文も聞き入れてもらい、五所川原工高に赴任することになった。当初は10年間位のつもりだったが諸々の事情が重なり、結果として僅か5年で五所川原を離れることになったのである。 私は若い頃(高卒後)、親元を逃げ出したくて旭川を離れたのであるが、4人兄弟の長男という事情がいずれ親元に帰らねばならないという遺伝子が私の意思を左右していたらしい。途中小樽を経由して昭和50年、14年ぶりに親元の旭川に帰還した。 Den.bracteosum×laevifolium 今はDen.Hibikiという品種名に変わったようだ。 尚、全段の独り言と後段の洋ランとは何の関連もなく、洋ランを育てることが私の趣味だというだけのことである。 最後までご覧頂きありがとうございます。 「人気blogランキング」に参加しています。 人気blogランキング ↑気に入って戴いたらこの赤い文字を1クリックして頂ければ嬉しいです。 |
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